お知らせ
「宮」 とは人間が作った神社であり神殿。
「天」とは天界、神界。
「道」とはこれらを繋ぐ道であり、 パイプ。
それが宮道天神社の名称に秘めたる意味。
だから、 真に天界、神界と繋がりたい方は、
こちらの神社と縁を結びなさい。
あなたがこの世に生まれたわけを知り、
天から与えられた役割、使命を知りたいなら、
こちらの神社と縁を結びなさい。
里宮
〈宮道天神社拝殿〉
一條天皇の御宇に大江定基が国司に任ぜられた時、
当地の長者 宮道弥太次郎長富の娘力寿姫との
伝説が残されている。
定基の出家後、
叡山に上り大山咋大神を当社に配祀したとも、
力寿の父弥太次郎が日吉 神社を勧請して
大山咋命を合祀したとも伝えられている。
明治13年に本社を再建するとともに
社号を宮道天神社と復旧し、
大 正14年に郷社に昇格した。
市の指定文化財(宇治川の先陣争いを描いた絵馬)
〈社 殿〉
本殿覆殿(奥宮) 幣殿 渡殿 拝殿 社務所 宝物殿 手水舎
由緒
宮路山の麓の音羽町には日本武尊の東征のとき、
その皇子の建貝児王(たてがいこのおおきみ:第3子)を
この地に封ぜられたといいます。
これが宮道別(みやじわけ)の祖であり、
その子宮道宿禰速麿は「穂」の県主になり、
その子孫が建貝児王を祭ったのが
宮路山の山頂と麓にある宮道天神社の起源です。
壬申の乱(672年)の時、
大海人皇子(天 武天皇)の御子草壁皇子は、
宮路山頂の嶽ヶ城に拠って守 備にあたられた。
その後、 草壁皇子の御母、持統上皇は
大宝2年(702年)三河に巡行し、
宮路山へ頓宮を造営された後に
この聖地を追慕して草壁皇子の神霊を祭り
嶽明神として尊崇されました。
また、大宝律令が公布され、
穂の国は三川(西三河)と統合され、
三河の国となりました。
フォトギャラリー
アクセス
音羽福祉保健センターの手前に神社があります
音羽福祉保険センター
豊川市赤坂町狭石1番地
0533-88-7723
https://www.city.toyokawa.lg.jp/smph/shisetsu/fukushiiryo/wellhouseaiai.html
※カーナビやGoogleで
「音羽福祉保険センター」に
設定してください。
目的地直前に神社があります