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ご案内
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お知らせ

「宮」 とは人間が作った神社であり神殿。

「天」とは天界、神界。

「道」とはこれらを繋ぐ道であり、 パイプ。

それが宮道天神社の名称に秘めたる意味。

だから、 真に天界、神界と繋がりたい方は、 
こちらの神社と縁を結びなさい。

あなたがこの世に生まれたわけを知り、 
天から与えられた役割、使命を知りたいなら、
こちらの神社と縁を結びなさい。

御祭神

    御祭神    

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建貝児王命

日本武尊(ヤマトタケル)

第三皇子

宮首別の祖
日本武尊と穴戸武媛

(吉備武彦の娘)の子

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大山昨命

名前の「くい(くひ)」は

杭のことで

大山に杭を打つ神

すなわち大きな山の所有者の

神を意味し

山の地主神であり

また農耕(治水)を司る

とされる

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草壁皇子

父:天武天皇

母:持統天皇

妻:阿陪皇女(元明天皇)
子:元正天皇、文武天皇、吉備内親王

起源

 起源 

西暦672年7月
天智天皇の皇子・大友皇子と皇弟・大海人皇子が

皇位を巡り争った壬申の乱がおきた。

その時、草壁皇子(父は大海人皇子、後の天武天皇)が

宮路山・嶽ヶ城に陣を構えたと伝えられている。

西暦702年(大宝2年)

草壁皇子の母である持統上皇は

三河御幸の際に宮路山に頓宮を造営され、

跡地に草壁皇子を祀ったのが

嶽大明神(宮路天神)の起源とする説もある。

中世、宮道天神は嶽大明神に合祀された。

明治13年

社号を復旧して宮道天神社と改称した。

里宮

 里宮 

〈宮道天神社拝殿〉
一條天皇の御宇に大江定基が国司に任ぜられた時、

当地の長者 宮道弥太次郎長富の娘力寿姫との

伝説が残されている。

定基の出家後、

叡山に上り大山咋大神を当社に配祀したとも、

力寿の父弥太次郎が日吉 神社を勧請して

大山咋命を合祀したとも伝えられている。

明治13年に本社を再建するとともに

社号を宮道天神社と復旧し、

大 正14年に郷社に昇格した。

市の指定文化財(宇治川の先陣争いを描いた絵馬)

〈社 殿〉 
本殿覆殿(奥宮) 幣殿 渡殿 拝殿 社務所 宝物殿 手水舎

奥宮

 奥宮 

宮道天神社から徒歩約40分
山頂に奥宮あり

宮路山。標高361mの山。
山頂に奥宮があります。

由緒

 由緒 

宮路山の麓の音羽町には日本武尊の東征のとき、

その皇子の建貝児王(たてがいこのおおきみ:第3子)を

この地に封ぜられたといいます。

これが宮道別(みやじわけ)の祖であり、

その子宮道宿禰速麿は「穂」の県主になり、

その子孫が建貝児王を祭ったのが

宮路山の山頂と麓にある宮道天神社の起源です。

壬申の乱(672年)の時、
大海人皇子(天 武天皇)の御子草壁皇子は、

宮路山頂の嶽ヶ城に拠って守 備にあたられた。

その後、 草壁皇子の御母、持統上皇は

大宝2年(702年)三河に巡行し、

宮路山へ頓宮を造営された後に

この聖地を追慕して草壁皇子の神霊を祭り

嶽明神として尊崇されました。
また、大宝律令が公布され、

穂の国は三川(西三河)と統合され、

三河の国となりました。

 

 祭事 

祭事

毎年8月の第3土・日曜に行われる雨乞い祭りには、

歌舞伎行列や山車などが

旧赤坂宿の街中を練り歩きます。

 御朱印 

御朱印

無人でも受け取れるスタイル
このご時世、
郵送でのお渡しも準備中です

ギャラリー

 フォトギャラリー 

アクセス

    アクセス    

音羽福祉保健センターの手前に神社があります

音羽福祉保険センター
豊川市赤坂町狭石1番地
0533-88-7723

https://www.city.toyokawa.lg.jp/smph/shisetsu/fukushiiryo/wellhouseaiai.html

※カーナビやGoogleで

「音羽福祉保険センター」に

設定してください。

目的地直前に神社があります

お問い合わせ

    お問い合わせ    

宮道天神社
愛知県豊川市赤坂町宮路1120番地

miyajitenjinjya@gmail.com

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